プロ野球ブログ

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野球における「名将監督」の定義について。なぜ大阪桐蔭は毎年強いチームを作り上げることができるのか?

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こんにちはカズヤです。

 

今回は監督論。

 

 

 

「名将」と呼ばれる監督が今まで野球界に何人もの人が生まれました。

 

 

それぞれ皆さんの中にも思い浮かぶ名将監督はいると思いますが、

 

 

名将と呼ばれる監督はなぜ「名将」なのでしょうか?

 

 

 

 

何をどう定義し、何を根拠として「名将」と呼んでいますか?

 

 

 

「何度も優勝して、結果を残しているから」

 

 

「強いチームを作り上げているから」

 

 

 

「采配が的確で、選手を適材適所に起用することができているから」

 

 

 

 

など、様々な意見はあると思います。

 

 

 

どれも間違っていないと思いますし、ここに「一つの答え」はありません。

 

 

 

 

 

 

ただ今回はそのような短絡的な評価ではなくもう少し深く掘り下げて、

 

 

 

そもそも「監督」という役職は、何をしなければいけないのか?

 

 

強いチームを作り上げる「名将監督」が体現した「野球の本質」などに基づき、

 

 

監督論について書いていきたいと思います。

 

 

 

 

今回は私の主観もどうしても入ってしまうと思うので、ご了承ください。

 

 

 

ただ、一つ言えることは

 

 

監督の見方について、私たちはもう少し大きな視点で捉えていかなけければいけないのではないでしょうか?ということです。

 

 

 

 

 

監督とは、コーチではなく「マネージャー」である

 

 

監督とはそもそも何をする役職なのでしょうか?

 

 

 

野球の監督とは、そもそもは「現場監督」です。つまりはマネージャー。

 

 

「選手のコンディションを管理し、マネジメントしていくこと」が監督の役目です。

 

 

采配も含めてこれができる人ほど、「良い監督」であり一つの定義だと私は思っています。

 

 

 

 

もっと具体的に言うと、

 

 

選手の調子や能力、データ、相性などを把握した上で、その場面場面に応じて適材適所に選手を采配すること

 

 

が監督の役目であり、これができる人が良い監督であるということです。

 

 

 

 

「優勝できたから良い監督だ」とか、「優勝できなかったからダメな監督だ」という

 

 

そんな一つの見方では断言はするべきではないのです。

 

 

 

 

そもそも「与えられた戦力」を如何にして理解、把握し、

 

翌年も見越した怪我の影響なども考慮しながら、

 

適材適所に采配し、「与えられた戦力」でどのぐらいの結果を生んだのか?

 

 

というところを見て評価するべきなのです。

 

 

 

「与えられた戦力」を育成するのではなく(コーチの仕事)、

 

如何に上手くマネジメントすることができるかが監督の仕事なのですから。

 

 

 

 

大阪桐蔭が毎年強いチームを作り上げている理由

 

高校野球屈指の名門校大阪桐蔭はなぜ毎年強いチームを作り上げているのでしょうか?

 

 

 

 

 

大阪桐蔭は毎年全国から野球エリートを集め、

 

各ポジションに優秀な選手をそろえ、「穴の少ないチーム」を作り上げています。

 

 

 

ここに「野球の本質」がうかがえます。

 

 

 

 

 

野球は本質として「代わりの選手が多く用意できるチーム」ほど、必然的に強いチームになるのです。

 

 

 

「この選手を出せば活躍してくれるだろう」というカードが多ければ多いほど、長いトーナメント戦であろうと、シーズンであろうと勝ちやすくなります。

 

 

 

 

例え多少采配が間違っていたとしても、カードの多さや選手個人の高い能力で補うことができるわけです。

 

 

大阪桐蔭はそれを毎年体現しており、昨年の夏の大会の金足農業の決勝戦はその「本質」が現れていたと言えます。

 

 

 

 

かつて最大13.5ゲーム差をひっくり返し逆手入優勝した08年以降の原巨人や、落合博満氏が率いていた中日にも同じことが言えます。

 

 

代わりの選手のカードも多く、監督が言わなくてもある程度選手個人個人がグラウンド上で考えて動くことができる。

 

 

 

 

 

大阪桐蔭の西谷監督はある時期まで、徹底的に個人練習をさせて選手個人の能力をレベルアップさせてから初めて、大会に向けたチーム練習をするそうです。

 

 

野球はチームスポーツである前に、個人競技の側面もあるとしてそのような方針をとっているそう。

 

 

 

 

「チームで勝つ」という言葉がよくいろんな監督から使われるが、

 

そもそも個人の能力を引き出すための練習をしていないチームがプロでも見受けられる。

 

 

 

 

「野球において強いチームは何であるか?」と考えると、

 

「選手個人の能力を如何に引き上げるか」という視点で考えたチーム作りをしている監督は

 

非常に野球の本質を捉えることができているといえます。

 

 

 

 

緒方監督を名将と言えない理由

 

 

 広島カープを25年ぶりに優勝させその後3連覇を果たした緒方監督。

 

 

 

結果だけで判断するならば、

 

「名将」と言う人はいるのかもしれませんが、

 

野球ファンを初めカープファンからも「名将」と言いきる人はなかなかいません。

 

 

 

その理由は先述した「監督はマネージャーという役職である」という章をを読んでもらえば明白で、

 

緒方監督はマネジメント力が決して上手いといえる監督ではないからです。

 

 

 

 

名将とは言えないファンの方々の多くは、ここになんとなく感じる部分があるからだと思います。

 

 

 

 

大差で勝っている試合でもわざわざ「勝ちパターンのリリーフ投手」を起用し何連投もさせたり、

 

レギュラークラスの野手をフルで出場させてなかなか休ませなかったり、

 

 

そのうえ代わりとなる若手の野手や投手に出場機会が中々与えられず、チーム層も年々手薄になってきている。

 

 

 

2019年カープの不調の原因も緒方監督のマネジメント力の乏しさが

 

しわ寄せとして一気に来たためだといえます。

 


 

 

 

 

野球の本質として、「代わりとなる選手が多ければ多いほど必然的に強いチームになる」と書きました。

 

 

3連覇をした広島カープもシーズン中はその本質を体現していたチームだったと言えます。

 

 

 

どんなに采配が間違っていても、

シーズン中は場面に応じたカードの多さや選手個人の高い能力でそれを上回り補うことができていました。

 

 

 

しかし、それだけの戦力でも日本シリーズのような短期決戦に3年間勝てなかったのは

 

 

 

「与えられた戦力でどういう野球をするべきか」というような戦力の把握や場面時応じて如何に効率的に勝つかというマネジメントをするのではなく、

 

 

 

ただひたすら「自分たちがやりたい野球をやる」ということだけを考え采配を振るうというような、

 

 

ある種緒方監督を名将と言い切れない要素が全てが出てしまった結果だと言えます。

 

 

 

 

18年の日本シリーズでは「甲斐キャノン」が話題を呼びましたが、その裏には刺されると分かっていても何度も「作戦とは呼べない無謀な盗塁」の緒方采配が

 

何度も何度も繰り返されていたからです。

 

 

 

どんな場面でも「自分たちのやりたい野球」を貫くことが、良い采配、マネジメントとは言えません。

 

 

 

「与えられた戦力」を把握し、場面に応じて如何に適材適所に選手を起用し、

 

効率的な勝利を導くことができるか。

 

 

 

これを長いシーズン、そして短期決戦に応じて柔軟に考えられる監督こそ

 

「名将」と呼べると考えます。

 

 

 

 

まとめ

 

・監督とは「マネージャー」である。マネジメントが主な仕事。

大阪桐蔭は「場面に応じて起用できる選手が多いほど勝てる」という野球の本質を捉えているチーム。西谷監督も同様。

・監督という役職、野球の本質から考えると、名将とは「与えられた戦力」を把握し、場面に応じて如何に適材適所に選手を起用し、効率的な勝利を導くことができるかと考える。